2012年 06月 15日
森へはひとりで。 |
今年こそ、庭の草はヨメの管理下に、と細心の注意を払っていたのだけれど。
今年もまたばあちゃんに負けた。
朝、玄関を開けたら目の前のちいさな花壇に残っていたのは
牡丹・あやめ・おだまきの三姉妹のみ。
彼女たちの足もとは更地に変わり果てていた。
あのドクダミのひと群れはわざと残しておいたのに、隅っこが明るむように。
カキドオシの薄紫が終れば、蔓桔梗のきりっとした青紫
お隣りに這っていく前に手入れしていたのに。
毎朝、青い花を咲かせるツユクサも
スベリヒュの可憐な黄色い花も、やっと増えてきたのに。
美人な姉さんたちの足もとに
可愛いこの子たちがいてくれたから楽しかったのに。
あーあ……。がっかりだ。ほんとうに、がっかりだ。
私が草取りするから心配しないでね、と言っていたのだけれど。
春からばあちゃんはずっと気にしていた。
家の周りの草、むしったらよかんべが。
タンポポはきれいだからいいでしょ、ノコギリソウもじきにピンクの花が咲くよ
クローバーもふかふかで気持いいよね…
抜いたらよかんべ、と言われるたびにがんばってきたのだけれど。
ばあちゃんの大事にしていることを
私も大事にしよう、と思っています。
でも。
私のたいせつなちいさな草花。抜かないでほしかったよ。
しょうがない。と何度も言ってみる。しょうがないよ。しょうがないんだ。
でも。
朝からごはん食べる元気もなくて
ひとりで森へ行った。
眩しい陽射しに頬がチリチリする。
休耕田の草むらからカスタネットみたいな蛙の合唱が湧き起こる。
木陰に入るとシャワーのように降りそそぐ蜩の声。
目をとじる。
ああ。今日は帰りたくない。
草を生やしておくとヘビが棲む。虫が出る。隣の田畑に迷惑がかかる。
第一、人目が悪い。とは、よく聞く言葉。
毎年、今頃になると町中でいっせいに草刈りが始まる。
草刈り機の通ったあとは散髪したてのようにきれいさっぱり、なにもない。
眺めながら歩くのが楽しみだった、あの白い花をいっぱいにつけた細い木。
根元から伐られていた。
邪魔になる場所ではなかったのに。
毎年、この時期には憂鬱になってしまう。
しょうがない しょうがない
しばらく休憩。
相手のありのままを受けとめる、と口で言うのは容易い。
けれど、相手のありのままと自分のありのままが
共に生かされている、という状態になることは
とてつもなく難しい。
ばあちゃんが『雑草』に立ち向かう姿を見ながら
私はいつもそう思う。
子どもの頃に住んだ家のちいさな庭が、私の中に今も灯る原風景だ。
そこには様々な草花が咲き乱れ、虫もたくさんいた。
私は地べたに這いつくばってそれらと遊んだ。
仄暗い縁の下にはユキノシタやシダが群れていて
日なたと日蔭それぞれを好む植物があることを知った。
我が家は農家じゃなかった。
田畑の仕事のかけらも知らなかった。
新しい環境で自分の人生を踏み出そうと決めたとき
たいていのことはがんばれる、と思う。
けれどこんな些細なこと―ちいさな草花を生かしてもらえないこと―に
こんなに痛みを感じている自分に驚く。
すこしたてば、またいつもの私に戻れることも知っている。
毎年のこと―。
これを繰り返しながら
自分のたいせつにしているものがどんどん鮮明になってゆく。
思い通りにならない、ということがきっと
たいせつなものを愛おしむ気持にいっそう磨きをかけてくれるのだろう。
by wildrose53
| 2012-06-15 22:11
| ヨメの休日