2011年 09月 24日
足元を深く掘れ。 |
会津磐梯山
(磐越西線の車窓から)
磐越西線:
福島県郡山⇔会津若松⇔
新潟県新津を走る。
一人で里帰りするときはいつも列車。
列車のいいところはなんといっても道中ぼんやりできることです。
実は会津に暮らし始めて18年たっても
かの有名な会津磐梯山にさほどの親近感はありませんでした。
会津といっても広いのです。磐梯山は遠い存在でした。
それが今回はじめて、車窓に顔をくっつけてずっと山を見ていました。
列車はちょっと速すぎて
ふっと振り向いたような格好の愛嬌のある頂きが見られるのはほんのわずか。
ああ、いいなあ、きれいだなあ。はじめてそう思いました。
ゆったり おおらかな山です。
帰りは夫の運転する車で、いつもの近道。
山深い集落では、一日の大半は日陰であろう小さな棚田に
収穫を待つ稲穂が揺れていました。
杉の大木におじいさんがなにか、と見ると
木に印をつけていたのでした。
この光景とすぐつながるのは、11年前の秋。
家族全員でキノコを採りに山へ。
あの頃。じいちゃん、元気だったんだ。先頭に立って道なき道をずんずん進んだ。
山には、かつてじいちゃんや、じいちゃんの親が「孫のために」植えた木があった。
下草を刈り、枝打ちをし、間伐しながら大事に大事に育ててきた杉の木。
杉や桐が、この地の人々の暮らしを支えてきたのです。
今はもう、伐るひともいない。でも
ここにひとかたまり、あちらに数本、とあちこちにある木の持ち主は
誰が見ても一目でわかる屋号を幹に書いておくのです。
1本 1本 抱きしめるように
歳月と共に薄れた屋号を新しく記す父と息子。
伐られたあとに残ったタッコ(切り株)が土に戻ろうとする頃、キノコが生える。
あの日。暗い森の中でそこだけ雪が降り積もったように真っ白な
とても美味しいキノコをたくさんいただいて帰ったのでした。
今年のクリスマスの贈りものに、と
また大槌復興刺し子プロジェクトの
布巾とコースターを注文しました。
「お買い上げありがとうございます。
私達はこれからも頑張ります。」
前と同じように手書きのカードが添えられていました。
最初はタグに「0(おー)」とだけ。
今度の布には「大槌刺し子」と裏に打ち出の小槌のマーク。
どことなくたどたどしかったカモメが堂々と胸を張っている。
なんだか嬉しさと眩しさが入り混じった気持になりました。
復興に向け少しずつ前を向き始めた被災地の様子をテレビで見ていても
そこに福島がいないのです。
福島が悲しい 福島が悲しい と誰にともなく言ってしまいます。
里帰りで再会した若い友人が
おずおずと差し出した袋の中は
手作りのポプリがいっぱい。
「なにかしたくて。
わたしになにができるのかわからなくて。
なにかのおやくにたてるかわからないけど。
これだけ。つくってみたの」
若い友人のそのまっすぐな瞳に打たれました。
たくさんの愛らしいポプリ。
身近に避難していらっしゃる女性たちに手渡したいと思っています。
こんなふうに、わたしにもできることがあるはずだよなあって思いました。
「手をとりあっていきましょう」と声をかけてくださるみなさん、ありがとう。
「さようなら原発1000万人アクション」
もはや福島だけの悲しみではないのだと立ち上がってくださったこの方々のように
私も遅まきながら、少しずつ、しかし勇気をもって踏み出そうと思います。
「汝の足元を深く掘れ。そこに泉あり」
ここに暮らしているからこそ見えるはずのものを探り当てよ、と
かつて励ましてくれた方がありました。
先人の遺してくれた美しいこの場所。木を植え、キノコを採らせてくれた山々。
ここで生きてきた人たちのささやかな幸福を
誰も奪ってはならないのです。
(磐越西線の車窓から)
磐越西線:
福島県郡山⇔会津若松⇔
新潟県新津を走る。
一人で里帰りするときはいつも列車。
列車のいいところはなんといっても道中ぼんやりできることです。
実は会津に暮らし始めて18年たっても
かの有名な会津磐梯山にさほどの親近感はありませんでした。
会津といっても広いのです。磐梯山は遠い存在でした。
それが今回はじめて、車窓に顔をくっつけてずっと山を見ていました。
列車はちょっと速すぎて
ふっと振り向いたような格好の愛嬌のある頂きが見られるのはほんのわずか。
ああ、いいなあ、きれいだなあ。はじめてそう思いました。
ゆったり おおらかな山です。
帰りは夫の運転する車で、いつもの近道。
山深い集落では、一日の大半は日陰であろう小さな棚田に
収穫を待つ稲穂が揺れていました。
杉の大木におじいさんがなにか、と見ると
木に印をつけていたのでした。
この光景とすぐつながるのは、11年前の秋。
家族全員でキノコを採りに山へ。
あの頃。じいちゃん、元気だったんだ。先頭に立って道なき道をずんずん進んだ。
山には、かつてじいちゃんや、じいちゃんの親が「孫のために」植えた木があった。
下草を刈り、枝打ちをし、間伐しながら大事に大事に育ててきた杉の木。
杉や桐が、この地の人々の暮らしを支えてきたのです。
今はもう、伐るひともいない。でも
ここにひとかたまり、あちらに数本、とあちこちにある木の持ち主は
誰が見ても一目でわかる屋号を幹に書いておくのです。
1本 1本 抱きしめるように
歳月と共に薄れた屋号を新しく記す父と息子。
伐られたあとに残ったタッコ(切り株)が土に戻ろうとする頃、キノコが生える。
あの日。暗い森の中でそこだけ雪が降り積もったように真っ白な
とても美味しいキノコをたくさんいただいて帰ったのでした。
今年のクリスマスの贈りものに、と
また大槌復興刺し子プロジェクトの
布巾とコースターを注文しました。
「お買い上げありがとうございます。
私達はこれからも頑張ります。」
前と同じように手書きのカードが添えられていました。
最初はタグに「0(おー)」とだけ。
今度の布には「大槌刺し子」と裏に打ち出の小槌のマーク。
どことなくたどたどしかったカモメが堂々と胸を張っている。
なんだか嬉しさと眩しさが入り混じった気持になりました。
復興に向け少しずつ前を向き始めた被災地の様子をテレビで見ていても
そこに福島がいないのです。
福島が悲しい 福島が悲しい と誰にともなく言ってしまいます。
里帰りで再会した若い友人が
おずおずと差し出した袋の中は
手作りのポプリがいっぱい。
「なにかしたくて。
わたしになにができるのかわからなくて。
なにかのおやくにたてるかわからないけど。
これだけ。つくってみたの」
若い友人のそのまっすぐな瞳に打たれました。
たくさんの愛らしいポプリ。
身近に避難していらっしゃる女性たちに手渡したいと思っています。
こんなふうに、わたしにもできることがあるはずだよなあって思いました。
「手をとりあっていきましょう」と声をかけてくださるみなさん、ありがとう。
「さようなら原発1000万人アクション」
もはや福島だけの悲しみではないのだと立ち上がってくださったこの方々のように
私も遅まきながら、少しずつ、しかし勇気をもって踏み出そうと思います。
「汝の足元を深く掘れ。そこに泉あり」
ここに暮らしているからこそ見えるはずのものを探り当てよ、と
かつて励ましてくれた方がありました。
先人の遺してくれた美しいこの場所。木を植え、キノコを採らせてくれた山々。
ここで生きてきた人たちのささやかな幸福を
誰も奪ってはならないのです。
by wildrose53
| 2011-09-24 09:44
| 3.11以後