2011年 08月 07日
ただいま! |
ただいま! お久しぶりです。
じいちゃんが逝ってひと月以上経ち。
今日、少し早めの四十九日法要を無事、済ませました。
ここでもたくさんの方々から温かなお言葉をいただきました。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。
このひと月あまり、
ばあちゃんは日に何度も遺影に話しかけていました。
「トーチャン、これから山サ行ってくるからなあ」
「トーチャン、オレはもう寝るぞ。トーチャンも寝ろよ」
「トーチャンは気がきかねぇから道まちがえっといけねぇ。ちゃーんと行くんだぞ」
草むしりなんかもう、ちょっと声かけるのもはばかられるほど一心不乱。
なにかが変わったように見えるばあちゃんです。
そしてわたしは。
お葬式にともなう土地のしきたり、人との関わりに気疲れし
正直なところ、へとへとでした。
マイペースに拍車のかかったばあちゃんに腹を立て。
うわのそらが高じている夫にイライラし。
肉親を亡くしたふたりを支えなければならないのに
自分を保つのに精一杯でした。
多分、気持が着地する場所が見つからなかったのでしょう。
そして、ふっと気づいたのです。
わたしはじいちゃんのお世話をしていると思っていたけれど
じいちゃんがわたしのお世話をしてくださっていたんだ、と。
アイロンをかけていると「じょうずにやるなあ」
台所にいると「いいあんばいだなあ」
雑巾がけをしていると「つかれるからやすみなさいよ」
じいちゃん。
じいちゃんは、いつでも誰にでも
ねぎらいと思いやりの言葉をかけるひとでした。
じいちゃんがいなくなって
あのやわらかな表情とやさしい言葉に
どんなに支えられてきたかを知りました。
じいちゃんの「ありがとう、ありがとう」に
わたしはいつも極上の気分にさせてもらっていたのです。
あんなに手放しで褒めることのできるひとを
わたしはほかに知りません。
亡くなったひとはこうして
遺されたものに大事な宝物をくださるのだなあ。
じいちゃんが教えてくれたこと。
それは「ただ、ここに在ること」。
じいちゃんがここにいてくださった、ただそのことが
こんなにも周りのひとの気持を和ませ
感謝で充たしてくれたこと。
じいちゃんは
何も出来ない、と卑屈にならなかった。
オレがやった、と威張らなかった。
誰かのためにやってあげた、と恩に着せることもなかった。
フツツカナヨメもいつかは、いつか、そこへ辿り着けたらなあ。
そんなことを願う、2011年の夏。
まもなく、新盆を迎えます。
7月28日から29日にかけ
新潟県と福島県奥会津を襲った記録的な豪雨。
わたしの暮らすこの町でも
川が氾濫し河畔の家屋が浸水しました。
あちこちで土砂崩れが起こり、道路は寸断。
のどかな美しい景色は一変してしまいました。
鉄橋の崩落など甚大な被害を受けた隣町や
新潟に隣接する全町避難の地域には
毎日、迂回路を長時間かけて
たくさんの方々が支援に入ってくださっています。
地震・津波・原発事故・そしてこのたびの豪雨災害。
福島県の受難は
ここに住むわたしたちに何を問うているのだろう。
与えられ続ける問いに
自分のことばで真摯に応えていこうとすることが
生きてゆくということなのかもしれない。
できることはわずかですが、惜しみなく差し出したいと思います。
みなさまにもお祈りいただけたらありがたく思います。
by wildrose53
| 2011-08-07 21:13
| ジーチャン