2012年 05月 12日
わきまえる |
上の写真は私の住んでいる集落からほど近い場所。
この沢の上に道路があり、集落と町の中心とを車で往来できるようになっています。
人口1900人の小さな町。その中の、割と大きめな集落。
結婚前、はじめて夫の家に連れて行かれたときは夜でした。
街灯などあったかどうか、だんだん暗い奥まったところへ進んでゆく。
辿り着いた家にはおじいさんとおばあさんが待っていてくれて
そこだけぼんやり明るいこたつの上に心づくしの料理が並べられていました。
覚えている味は銀タラを甘じょっぱく煮たひと皿。ほろりと美味しかった。
それがハレの日のご馳走だと知ったのは、ヨメになってからでした。
「ヨメんなる前はみんな夜連れてこられンだ、あっはっは」
よそから来た元・ヨメのおばちゃん、「こんな山だって知らなかったもんなあ」と笑います。
この道を通りかかって、沢から上ってきたコグマに遭遇しました、それも二度も!
まっ黒な、まるでおおきなぬいぐるみ。めごいめごい!
コグマを見たら気をつけろ、近くに必ず親がいるから、という義母の言葉を思い出し
窓を閉めエンジンを切って、じっと見ていたら
コグマもこちらをちょっと見て、それから思い出したように山を駆け上がり見えなくなりました。
「おめぇは運がいいんだなあ。オラなんかここで生まれ育って一度も逢ってねぇ」
地元のひとがびっくりしてくれるのでちょっと得意な気分。
さらに上っていくと昔、カヤ刈り場だった高原があり、まだ生まれたての新緑が素晴らしい。
ここ数日は雨空で光も弱いのですが、今の雰囲気を一枚だけ。
山に入るときは山の神さまに手を合わせ
杉や桐を植えさせていただく、キノコや山菜を採らせていただく、と
わきまえることを作法として暮らしてきた山のひとたち。
見えないものも生きていること、知らない世界に入るには約束があることを
土地の古老はその暮らしぶりで教えてくれるのです。
きっと、海のひとたちには海の約束が、おなじように守られているのでしょう。
昨夜、NHKテレビ東北Z 『本当は、悲しいけれど』を見ました。
(ページ右上<これまでの放送>をご覧ください)
宮城県閖上中学校の、友人や家を失った生徒さん、子どもをなくされた親御さんの
しぼり出すような言葉を聞かせていただいたこと。有り難く思いました。
見なければわからない、行くことが復興の手助けになると
バスを仕立てて出かけてゆくひとが増えているそうですね。
ならばせめて、わきまえなくては。
知らぬことばかりなのだと。
番組後半、ある場面。
「被災地復興応援ツアー」のバスから降りてきたひとたちの中に
立小便をしたひとがいたという。
祭壇の置かれた学校のそばで。
「ここに何をしに来たんですか」
迎えた方が思わず声を荒げたのは当然と思いました。
そこでたくさんの方が亡くなったのです。
by wildrose53
| 2012-05-12 11:15
| ヨメの休日