2011年 09月 08日
出会うべくして |
野山の草木をいただいて、糸や布を染める心静かな楽しき時間。いつか、また。きっと。
我が家のばあちゃん(85)は、記憶力が普通ではないと思う。
「先生。オラ、平成○○年の○月○日から○月○日まで○○日間、肺炎で入院してたんですよお」
って新しく赴任してきた若いDr.に。
「○月○日に血ィ採ったんだけんじょ、『あくだまこれすてろおるのすうち』はさすけねぇべか」
悪玉コレステロールの数値。舌噛みそう。
ばあちゃんにはお馴染みのワルモノなのでスラスラ出てきます。
あ、ちなみに「さすけねぇ」って「大丈夫」の会津言葉です。いい言葉でしょう。
「オラ、頭はまだバカになってねぇが、耳も目も脚もダメンなって、ほんにせつねぇ」
ばあちゃんの頭。ヨメなんぞよりはるかに活動してる。
でも、今日は内科に来たんだよねえ、耳や目や脚は、また日を改めて来よう。
じいちゃんが亡くなってから、なんだか不憫なばあちゃんです。
ここまででおわり。ならばいかにも優しいヨメですが。
ヨメも普通の人間なので、姑とそうそう楽しく顔つき合わせてばかりもいられない。
「おかあさん。冬彦さんが遅いって言うから、お先にお風呂いただこうかな」
「いいわい。遅いってわかってンなら。
いつもいつも、おめぇが先入ってらンねえがなあ!」
(それはひと言、余計ざんす。なんでただにこやかに
「いいよー入ってこーよー」って言えないざんすか)
「おかあさん。今夜は冬彦さんのゴーヤで料理するからねー」
「それは冬彦、なにほど喜ぶべぇ。
おめぇはいつンなったら冬彦の野菜、料理すんのかと思ってたわい!」
(それもひと言、余計ざんすね。なんでただ喜んで
「よく気ィついたなあ」って。あ。それは期待しすぎか)
「おかあさん。久しぶりに織ってみたの、見て~!」
「ああ、きれーだな。
そうだ、やるといい。外サ出っと金かかンだから家サいたほうがいいんだ!」
ピッキーーーーンッ。。。
うう。ひと言が鋭すぎる・・・
6年前、夫と二人だけの愛の巣をたたんでこの家に来たヨメ。
何しろひとさまが怖くて仕方ない、
「ガラス細工のように繊細すぎ」たヨメは
夫の実家に同居、という大試練に、ついに病に倒れ臥し
なんと1年近くも自分探しの旅に出たのでした。
もう、ダメだ・・・。そう思った。
多分、夫も半ばあきらめたと思う。
でも、私は再び、この家に帰ってくることができました。
帰ってからも度々落ちては這い上がるの繰り返しだったヨメは
あるとき近所のおばちゃんからこんなことを聞いたのです。
「ばあちゃんな、ハルさんいないとき、あちこち歩いてなあ。
『うつ病ってなんだ。オラどうしていいかわかんねえから教えてくろ』って」
私はこれを聞いて泣きそうになりました。
都会から来たヨメが怪しい病気になっちまった。
うう、困った。オラのせいじゃねえぞ!あんなヨメ!迷惑な!
というのが昔のお姑さんじゃなかったんだろうか。
ところがばあちゃんという人は、恥ずかしがって引きこもるどころか
近所中を歩いて自分の窮状を訴え、テレビで生半可な知識も蓄えつつ
じいちゃんを怒鳴り飛ばしながら
ヨメの帰りを待っていてくれたのでした。
ばあちゃん。ありがとう。
6年前、この家で初めての冬。
畑が出来ずご機嫌斜めのばあちゃんと
一緒に作った「簡単裂き織」。
厚手のダンボールに毛糸をぐるぐる巻き
裂いた布を指で織りこんでは櫛でトントン。
左はばあちゃん作、右はヨメの作。
つなげて壁掛けにし、玄関に飾ってあります。
完璧主義のばあちゃん
「なんでオラのはおめぇみてぇに端が揃わねぇンだ」。
どうやらご不満だったらしい。
こたつにあたったまま作れる手軽な遊び。
でもどこまでも真剣なばあちゃんでした。
いい思い出です。
もし、あの時、「もうダメだ」と、この家を出たっきりだったら。
私はいまだに自分に自信がもてないままだったろう。
じいちゃんのお世話もできず
自分に授かっている力に気づくこともなかっただろう。
ばあちゃんは、私がこの人生で出会うべくして出会った存在。
おかげさまで「NOと言えるヨメ」になりつつあるふつつかモンに
ばあちゃん、内心(べらぼーめ!)って苦笑してるかもね♪
by wildrose53
| 2011-09-08 15:46
| バーチャン