2012年 05月 24日

「オレにもそういうの、くんねぇか」
義母が求めたのは、ノートでした。
さっそく私が使っているのと同じA4判のノートの束と、ボールペンを買ってきました。
その日から、義母は毎日、畑仕事の記録をはじめました。
平成21年が第1冊目。
22年。23年。今年で4冊目。義母は86歳になりました。
夕飯がおわると眼鏡をかけ、膝の上にノートを広げる義母は
昼間の、かたときもじっとしていないひととは違う表情で
うっかり声もかけられない雰囲気なのです。
この家にきてから、義母の言葉や仕事をそっとメモしてきました。
都会からきたヨメには驚くことばかり。
知りたいことも、覚えなくてはならぬことも、山ほどありました。
でも、義母自身が書くことはまったく別のはず。
鮮やかなことばを話すひとです。そこになにが書かれているのか。
「学校もろくに行ってねぇもん、おめぇが見たら笑うべぇ」
笑うどころか。
「書く」ということが、すごいことだ。
けれど何度お願いしてみてもだめでした。
畑の記録といっても『日記』だもん、ひとに見せたくないのは当たり前か。
息子も「かーちゃんが、あっちいってからだな」

それが、ひょんなきっかけで、見せてもらえることになりました。
詳細な農事録の中に、時折見える義母の顔。
天気はもちろん、何時何分にどこへ行った、何をした、帰ってきた。
畑仕事のできない冬は、ご近所とのお茶のみのことを。
驚いたのは、その几帳面さだけではありません。
他人に対する感情的なことを、一切、書いてない。
誰々が来た。誰々に会った。ただ、それだけ。
誰かに見せるつもりなど毛頭なかった日記です。
ヨメの悪口のひとつも書いてあるかも。
ちょっとドキドキしながら読み進めたけれど、まったくありませんでした。
読んでいて、気がついた。
おかあさん、畑のこと以外、ほんとうに興味がないんだねえ。
そう思ったら、なんだかスカッとした。おかあさん、いいねえ。
遺された誰ひとり、傷つかない。これは立派なことだと思います。
思いを持て余したとき、文字にすると、いっとき心がなだめられるような気になる私など
いざ最期となる前に「削除」しておきたいものだらけ。
義母にとって大事なことはとてもシンプル。そのサッパリ加減に惚れ惚れしました。

恩師の言葉が蘇ります。
「それをしていると自分自身になれる。それをこそ、仕事と呼ぶのではないか」
「卵のころから百姓だわい」と笑う義母の、震えるひらがなで記された日々の記録。
そこには、まっしぐらに自分自身へと向かっている、清々しいことばだけがありました。










大きく育ったケヤキが畑の日陰となるので枝を伐った。伐った枝はカキシバにする。カキシバは豆や胡瓜など蔓性野菜の「手」となるもの。ナタで鉛筆のようにモトを削る。ザンッザンッ うー小気味いい。
ばあちゃんが何度も語った昔話。



わかりやすく単純に見えるものを、以前は軽く見ていたんだと思います。好きか嫌いかがもっとも大事なことで、気の向かぬものがたくさんあった。